プロフィール


おにぎり屋のかっつぁん

 

元来野外活動が好きで、釣り・キャンプ・スキーなど多彩な趣味を持っておりました。

 

子供が生まれたのを機に、狭い東京の集合住宅を抜け出し広い地べたに暮らしたい夢を叶え、遠距離通勤覚悟で永住の地となる房総半島の「いすみ」に更地を手に入れました。

 

家だけを工務店に建ててもらい、畑から始まり、生垣・ウッドデッキ・子供のブランコ・車庫等々、すべて自分で作ってしまいました。

 

一段落した時に田んぼの作業を手伝い始めた頃から、何とかお米で生活の糧を得られないか?と考えた挙句、周囲の反対を押し切り20年弱お世話になった会社の管理職を辞め、おにぎり屋さんを開業しました。

 

ヒマな方は、下記生い立ちを見て下さい。

生い立ち(人生の区切りごとに逆読みする形式となっております)

 

◎サラリーマン後期

会社の中枢にいた私が、房総半島に家を建てる決意をしたことを告白した所、社長からえらい剣幕で怒られるが、こちらは思ったが吉日の人間なので、報告する時にはすでに既成事実がある時で、すでに契約後の報告だったことは言うまでもありません。

 

遠距離通勤覚悟の上だったとは言え、やはり片道2時間半の通勤はちょっと辛い。

こっぴどく怒った社長だったが、そんな通勤姿を見た私に温情を与えてくれ、大変ありがたい話し会社の一部屋を宿泊所として利用しても良いとの許可が出て、単身赴任状態になりました。

これもオーナー会社の良い所か?

 

 

いざ念願の田舎に住むと、あれだけ通った釣りは「いつでもできる」と行かなくなり、それより更地を家らしくして行く事が楽しく、畑作りを皮切りに、生垣を植え、ウッドデッキを作り、子供の遊び場を作り、車庫を作り、屋根裏部屋を子供部屋に改造し、と、営業一筋で来た私にとって作る事の楽しさを覚えてしまったのでした。

 

周りは里山・田園風景なので、田んぼに興味を持つのも当然の結果で、新住人として住み始めた頃から何かとお世話になった、私と同じ飲べぇ農家の田んぼをいつしか手伝うようになり始めました。

 

 

そんな生活が長く続いたある時、会社が事業拡張に伴い新社屋を建設する事に。

自分達の力で会社をそこまでして来た嬉しさの反面、セキュリティーがどんどん厳しくなる昨今、宿泊所がなくなる!と思ったのは私だけであろう。

 

やはり新社屋では宿泊所は認められず、毎日片道2時間半の通勤に戻った時に将来を考える時間が多くなり、最終的には移り住んだ地元で何かをしたい、と思うようになりました。

 

 

◎サラリーマン中期

自分を売り込む転職により思惑通りサラリーを上げたが、懲り生な私は新たな趣味にどっぷりひたる事になります。

 

何気なく始めた釣りが面白く、最初は東京ベイエリアでシーバスを引っ掛けて遊んでいたが、あるとき東京湾奥でクロダイを釣り上げている光景を見て、その素晴らしい魚体に完全にクロダイの虜になってしまいました。

クロダイと言えば千葉、と言う事で毎週のように千葉の海に通うようになります

 

 

一報、転職した会社からわずか3年強でまた転職することになりました。

ここの話しは難しい話しになるので、割愛します。

 

新たに入ったソフトハウスでは、最初から責任者として任せていただき、ある程度自分の好きなように仕事をさせていただいた。

 

 

責任者として仕事をする上で単身でいつまでも遊んでばかりでいいのか?と言う思いから結婚も決意し、子供にも恵まれ、その子供が成長するにつれ、集合住宅はもうごめん!と言う、人生を大きく変える事件が起き、家を建てて地べたで生活してやる!と心に誓うほどの騒動がありました。

 

どうせ建てるなら自分の自由になる広い土地がほしい、自分がそうだったように自然の中で子供を育てたい、と思い、奥さんの意見はあまり聞かず釣りでひたすら通っていた房総半島に家を建てる決心をしました。

 

房総半島と言っても様々な場所がありますが、子供の頃に過ごした里山と田んぼの風景にローカル鉄道が加わる、と言う風景を見た瞬間に、ここだ!と直感が働き、いすみを移住の地に決定しました。

 

 

◎社会人初期

学生時代にキャンプの関係で知り合った旅行会社と縁があり、営業マンとして社会人生活をスタートし、基礎を築きつつ、学生時代と変わらず良く遊びました。

特にスキーは学生時代からの延長で、車を手に入れてからは一人でも行くほどでした。

 

しかし、旅行会社はとにかく給料が安く、ひたすら添乗の仕事を受けないとこづかいが続かない。

営業マンとしては、生意気なくらい自信があったため、自分のサラリーアップのために当時最先端であったコンピュータ関連の営業に転職を決め決断をしました。

 

 

◎大学生時代

関西から関東へ一人で戻り大学へ通い出しますが、元々勉強ぎらいな人間が一生懸命勉強するはずもなく、サークル活動にどっぷりはまり込む事になります。

 

一人暮らしの超ビンボー学生ながら、元来何にでも手を出したくなる性格で、あらゆる遊びに手を出してビンボーに拍車をかけて行きます。

テニスやスキー・サーフィンも覚え、たいていの流行事には手を出したかな?

 

春休みはスキー場の民宿で丸々2ヶ月住み込みアルバイトをして、スキーはかなり腕を磨きました。

 

その一方で、子供の頃に身に付いた野生児を生かし、キャンプやレクリエーションの指導員も取り、スキーのできない夏はボランティアでキャンプの指導員もやりました。

1ヶ月近くもキャンプ場で過ごし、この時の仲間が本音で付き合える仲間として、今でも家族ぐるみの付き合いをしています。

 

 

◎中学生・高校生の頃

父親の転勤のため転校が多かったためか、あまり良い思い出がないんです。

 

特に、東京から大阪へ転校した時は強烈だった。

 

当時はまだ漫才ブームの前で、関東の人間からすると大阪弁は異国の言葉、これには本当に苦労しました。

しかし、こちらも思春期真っ只中、必死に3ヶ月で大阪弁を克服した記憶があります。

ある意味、この時期に飛込んでしまえばどんな事でも何とかなる!と言う根性が付いたかな?

 

この頃、鉄道に目覚め、中学生ながらアルバイトをしたお金で初めて一人旅をして、なぜかこの頃からローカル鉄道に魅せられ、夏休みや春休みには四国や九州を一人旅しておりました。

 

相変わらず勉強ぎらいだったので、中学を卒業したら大工か料理人になりたかったが、高校だけは出なさい、と言われ渋々高校に入る物の、やっぱり良い思い出は何もない。グレなかったのが奇跡かな?

 

一人旅は高校になっても続け、旅の中で出会った大学生の姿を見て、大学へ入れば一人で好きなように生きられるかな?と甘い考えもあり、関東へ一人で戻る目的もあり大学受験をする事になります。

 

 

◎子供の頃

父親はいわゆる転勤族で、子供の頃は何回か転校をしました。

 

まだ高度経済成長の真っ只中、どの都市も中心部はどんどん都市化していく一方、ほんの少し中心部から離れると非常に自然豊かで、そんな里山風景の中で小学生時代を過ごしたお陰で、自然児・ワイルドな性分が身に付きました。

 

特に、広島と静岡は今でも第2のふるさとと思えるくらい、少年時代の私に大きな影響を与え、今のいすみ暮らしに結び付いています。

 

広島では、今は宅地となっている西広島の田んぼと山で、タガメや水カマキリ・オニヤンマなどの昆虫と遊び、ワラビやマツタケ・いちじくなどを採って食べるのは日常生活でした。

 

静岡も、今では当時の面影は全くありませんが、家の裏の田んぼではホタルが乱舞し、ザリガニ釣りや竹で基地を作って遊んでいました。

 

勉強は全くしなかったが、本当に子供らしい子供だったのではないかな?(自分で言うな!)

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